- 読まなくなった絵本、捨てないで!子どもの心が戻る場所になるから。 | MARCH(マーチ)

読まなくなった絵本、捨てないで!子どもの心が戻る場所になるから。

2014/05/02


子どもが成長するにつれて読む絵本も変わっていきます。小さな頃に大好きだった絵本に見向きもしなくなるかもしれません。そうなると、「この絵本の役目も終わり。場所もとるし処分してしまおう」という気になりますよね。でも、どうか捨てたり人に譲ったりせずに保管しておいてほしいと思います。

子どもが小学生になると、幼稚園時代とは違って親の見えないところでの友人関係ができてきます。公園で遊ぶのも子どもたちだけで遊んで、親の付き添いはまずないですよね。低学年のうちはそれでもまだ子どもの交友関係を把握できますが、学年が進むにつれて難しくなっていきます。

何か友人関係でもめていても話してくれなくなり、悩んでいること、困っていることに親が気付きにくくなってきます。それは、自分で解決しようとする子どもも成長過程なので、見守っていきたいところですが、親は心配でなりません。

そんな時に、大好きだった絵本が子どもの心を救ってくれることがあります。本当はお母さんに相談したいけれども、なかなか素直に言えない年頃になって、自分でもどうしたらいいかわからなくなった時に、ふと、大好きだった絵本に手が伸びたりします。それは、懐かしいお母さんのあたたかい声、ぬくもりを思い出して、悩んで困って折れそうな自分の心を支えていることもあれば、絵本の内容に今の自分が重なったり、励まされたりする場合もあります。子どもの心が戻る場所になっているのです。

実際にある子どもがそうでしたが、『あしたのぼくは・・・』(みやにしたつや/作、絵、ポプラ社)という絵本にその子は何度も助けられました。何事につけてものんびりな子で、クラスメートから「こんなこともできないのか」とバカにした言葉を、浴びせられることも度々ありました。低学年の頃はありがたいことに鈍感で、言われている言葉の意図をくみとれず傷つくこともなかったのですが、学年が進むにつれて気がつき、傷つくこともしばしば。そんな時、この絵本をよく読んでいました。

この絵本は、主人公の『ぼく』がまず自分の苦手を語り、次のページではそれを克服しているイメージを膨らませる、ということの繰り返しです。「ぼくは人参が嫌い、食べられない」と言った後、「でも、あしたの ぼくは・・・きっと食べている」とイメージする、といった感じです。

「できないことを指摘されて悔しい・・・でも言い返せない。でもいつかはできるようになるんだ」、そんな思いをこの絵本に後押しされて、その状況に耐え、乗り越えたように思います。親の大きな手助けは必要ありませんでした。ただ見守っていただけです。

それは、手元にその絵本があったからできたことです。だから、読まなくなった絵本も捨てないで、本棚の片隅においてあげて下さい。全ての絵本を本棚に入れるのは難しいかもしれませんが、せめて特別に好きだった絵本数冊は子どもの手に届くところにおいてあげておいて下さい。そのほかの絵本は段ボールにでもしまって、「出して」と言われたら出せるようにしておいてほしいと思います。

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