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わかってほしい!自閉症などの発達障害の幼児が持っている特性と適切な対応

2015/04/25

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「発達障害」とは、子供が成長していく過程で、何らかの理由で心身の機能の発達が困難な状態をいいます。単純に発達が遅れているというわけではありません。

遅れているところもありますが、遅れていないところ、それどころか、優れているところもあるのをご存知ですか?

そのため、周りからアンバランスな様子に見え、理解されにくい事が多くあります。発達障害の人や子どもたちが、それぞれの能力を伸ばし、社会で自立していくためには、よい理解者と周りのサポートがとても大切なのです。

自閉症の子どもとの出会い

息子が通う園に、M君という自閉症の子がいました。園の先生からは、M君の症状などについて説明があったわけではありません。「特別に支援が必要な子」という枠で、息子と同じクラス。担任の先生以外の、専門の先生が一人ついていらっしゃいました。

私の間違った思い込み

その頃、自閉症に関する知識は、私にはほとんどありませんでした。むしろ、間違った思い込みを持っていました。「自閉症」は先天的な脳機能障害であるのに、情緒的な発達の遅れである、と思い込んでいたのです。

お母さんの様子を見ていて、「神経質にいろんなことに気をつけすぎなんじゃ。」と思ったことすらあります。

つまり、心を閉ざしているように見えるのは、単に心の育ちの問題だと思ってしまったのです。それが大変な間違いだとわかったのは、ずいぶん後のことです。

なぜか、M君は、ガキ大将の私の息子と仲良しでした。園が終わったあと、園庭で一緒に遊んだり、うちに遊びに来たこともあるくらいです。これは、園の先生方にもびっくりされるようなことのようでした。

少し前までは、文部科学省でも学校でも、自閉症の生徒のための学級は「情緒障害学級」と呼ばれていたのをご存知でしょうか。私には、無意識のうちにそういった記憶があったのかもしれません。何も知らずに、ただただ情緒の問題だと思っていました。

園で一番活発で、元気がいいと言われている、私の息子と一緒にいる時のMくんが、落ち着いていて、楽しそうに見えるのが、私の誤解を一層深めました。息子とたくさん遊んで、私とも仲良くなってくれれば、M君の心は開くのではないか、と思ったのです。

幸い、息子のクラスはとても雰囲気のいいクラスで、M君のことを自然に受け入れ、一緒に園での生活をしているように見えました。

また、保護者もいい方ばかりでした。朝夕の送迎時や、参観日や発表会などでM君がパニックになったり、かんしゃくを起こしたりしても、特に問題になることはありませんでした。皆さん、温かく見守っていたような感じです。

他の園では「発達障害の子がいると、ほかの子に目が行き届かない。」とか「園での活動がスムーズにいかない。」などの保護者の声から、転園しなければいけなくなった、というケースもたくさんあるようです。

子どもが自然に持っている力

そして子どもたちは、M君の特性を、ごくごく普通に受け入れていました。例えば、猫が好きな子もいれば、犬が好きな子もいるんだよね、とか、虫がとっても苦手なんだとか、いちごが大好きなんだよ、というのと同じような感じです。

そして、Mくんの苦手なことは苦手なこととして受け入れ、優れた部分は優れた部分として、ものすごく尊敬していました。M君は見たものを記憶する力がとても高かったのです。入園時から、機関車トーマスの種類を全部見分け、名前を言うことができました。

また、ジグソーパズルの苦手な私からすると、信じられないような大きくて難しいパズルを、一人でちゃんと完成させることもできました。園にあるような子ども用のパズルなんて、手順を覚えているかのように、あっという間の完成です。

年長になる頃には、世界中の国の国旗を覚え、首都を言うことができました。「フランスの国旗はこれ、首都はパリ。」というふうに。私が、見たことも聞いたこともないような国や首都の名前をたくさん言うので、驚きました。

一緒に地図帳で調べると、全問正解です。息子が「M君すごいでしょ。」と、自分のことのように誇らしそうにしていたのを思い出します。

同じクラスの子供たちにとってM君は、ただ単に「突然、予定が変わることが苦手でこだわりが多くて」、「目で見たものの記憶力はものすごい」子だったようです。でも、大人は、なかなかそんな風にそのまま受け入れることはできません。

的外れだった、私の気持ち

例えば、朝、「M君、おはよう。」と大きな声で挨拶して、頭を撫でたときのこと。M君は大声を出して暴れ始めました。私はびっくりして、オロオロするばかり。

そんな私に息子は「ママ、頭に触っちゃダメなんだよ。M君、今ね、頭に触られるの、すごく嫌がるんだから。」と言いました。それが、すごく普通の様子で、その時の光景が今でも印象に残っています。

子どもというのは、こんなにもありのまま友達の姿を受け入れていくものなのかと、心を打たれたからです。私のように、M君をこうしようとか、こんなふうになったらいいな、とは、全く思っていないのです。

私は、M君の母親ではないので、直接的ではありませんが、とにかく、M君の弱点を修正しようとか、苦手なことを平気にさせてあげたいとか、ずいぶん、的はずれなことを思っていたのです。

「支援よりも理解してほしい」「特性を理解しない人に近寄られるだけで、私たちがどれほど苦痛を感じているか知ってほしい。」アスペルガー症候群の人たちの言葉です。

私はまさに「特性を理解しない人」でした。

残念ながら、自閉症の人たちからは、私たちの世界に溶け込んでくることはできないそうなのです。でも、私たちは、努力すれば、発達障害の人たちの世界を受け入れたり、理解したりすることができます。

障害の程度などによって、ひとりひとり障害の表れ方は違うでしょうが、基本的な特性を理解し、協力したり支援したりすることはできるはず。発達障害のある人たちは、理解者のいるところではじめて、一緒に学んだり生活したりしていくことができます。

家族の理解だけでは、足りないのです。家族や先生や友達や周りの人たちが、発達障害についての理解を深めることで、発達障害の人たちの苦しみを減らすことができたらいいなと思います。

自閉症の原因は育て方にはない

今では、家庭での育て方が、自閉症の原因になることは、何一つないといわれています。それは、逆に言うと、家族や周りの人達が、適切な教育をすることで、自閉症が治ったり、よくなったりすることは無いということでもあります。

と偉そうに言っても、私は、M君やM君のお母さんとの関わりの中で、そんなこと、想像もしていませんでした。自閉症について学ぼうとも思わないのに、身勝手に、M君を救おうとさえ思っていたようなところがあります。

その結果、私は、自閉症の人が苦痛に思うようなことを、たくさんしてしまいました。それでも、M君はやっぱり息子のことを好きでいてくれましたし、お母さんの方も私達家族と仲良くしてくれました。

自閉症のことを知る努力を始めてから、当時のことを思い出し、本当に後悔しています。あの時、これらのことを知っていたら、もっと違う関わりができたのに。M君が嫌なことや苦手なことをしないように気をつけることができたのに。

そう思うと、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。だから、あの時知っていたら、と思うことを、みなさんに少しだけお伝えします。

発達障害の本質的な特徴とは?

「発達障害」の特徴は「脳の機能の障害で、いろいろある脳の機能を、同時に総合的にうまく働かせることができない」ということです。わかりやすく言うと、「同時に複数のことをするのが苦手」なのです。

自閉症の定義とは?

発達障害の代表的な例である、「自閉症」ですが、定義として次の3つが揃うこととされています。

①言葉の発達の遅れ(コミュニケーションがうまく取れない)
②対人関係・社会性が育ちにくい
③興味や関心が狭いところに向かう(パターン化した行動やこだわりが強いなど)

そして、自閉症の特性がはっきり強く出ていて、知能や言葉の発達に遅れのない場合は「高機能自閉症(アスペルガー症候群)」といいます。

自閉症の定義とされる特徴

自閉症の定義をわかりやすくいうと、次のようなことがあげられます。

  • 目で見たものを理解する力に優れている(アスペルガー症候群の場合)。
  • 話し言葉の理解が苦手。会話の理解はさらに困難で苦痛を感じる。
  • 比喩や抽象など、想像力が必要なことの理解が困難。
  • 目に見えないものや具体的でないものの理解、時間や空間を理解するのが難しい。
  • 決まっていること、習慣や日課になっていることはきちんとできる。
  • 興味や関心が狭い。全体ではなく、細部から考える。
  • 感覚機能が違う。味覚や痛覚や触覚など。
  • 一度に一つのことしか理解できない。
  • 同時に総合的な機能を働かせることができない。
  • 物事を忘れることができない。
  • 素直で正直。嘘をつかない。

会話には脳の複雑な働きが必要

例えば「人と会話する」。私たちは会話をするとき、「会話」という、ひとつのことだけしているのでしょうか?実は、上手に会話をするということは、とても複雑な脳の働きを必要とします。

  • 自分の話したいことを言葉で伝える
  • 相手の反応を見る。表情や目を見るなど。
  • 身振り手振りを使って、伝えたいことを表現する。
  • 相手の様子を見て、どう思っているか想像する。
  • 相手の言葉を聞く。
  • 相手の言葉や表情などから、話の内容の意味を理解する。

脳のいろいろな機能を、同時に、総合的に働かせて、私たちは会話をしているのですね。

板書内容をノートに書く複雑さ

授業中、先生の話を聞きながら、板書の内容をノートに書く。これにも、たくさんの脳の機能が同時に働いています。

  • 先生が話す言葉を聞く。
  • 先生の顔や身振りを見る。
  • 先生の言葉の意味を理解する。
  • 強調されたことなどを聞き取る。
  • 黒板の文字を見る。
  • 文字の意味を理解する。
  • 筆記具を持って、手を動かして文字を書く

発達障害のある子たちは、こういったことがとても苦手です。「会話」ができないため、コミュニケーションもうまくとれません。そのため、社会性も育ちにくく、周りから誤解されることも多いでしょう。

また、前述の「板書内容をノートに書く」というような場合でも、板書された内容や先生の言葉を、うまくまとめることができなくて、学習面でもおくれがちになってしまいます。

パターン化した行動やこだわり

もうひとつ、大きな特徴が「興味や関心が、狭いところに向かう」です。こだわりが強かったり、決まった遊びばかりしたがったりします。行事などで、いつもと違うことがあるとパニックになることも。

パターン化した行動以外のことに、不安を感じてしまうのです。

周りの人に理解される大切さ

近年、いろいろな理由で発達障害の子供は増えてきたと考えられています。ですから、少しでも多くの人が発達障害の子どもへの理解を持つことができれば、と思います。

発達障害には、自閉症の他にも「LD(学習障害)」「ADD(注意欠陥障害)」「AD/HD(注意欠陥多動性障害)」などもあります。

これらの障害の特徴を見ると、「落ち着きがない」とか「先生の話を集中して聞けない」とか「物をよくなくす」とか「順番を待てない」など、似たような症状があげられています。多く当てはまることがあると、発達障害と診断されるようです。

でも、たくさんある症状の中に、健常と言われている人の中にも、ひとつやふたつ、あてはまることがあるのではないか、と思うことがよくあります。「走り回ることが多くて」「高いところに登るのが好き」こんな男の子、たくさんいるでしょう。

だから、発達障害だ、と診断されたりレッテルを貼ることに意味があるとは思えません。そうではなくて、発達障害を持つ子どもの特性を知り、上手に関わっていくことがとても大切だと思うのです。

それには、子育ての基礎である、その子のありのままの姿を受け入れ、余計な干渉をせず、成長を見守る、ということが必要です。健常であろうと発達障害であろうと、それは変わらないと思います。

「他の子と同じようにさせたい」と思う親や周りの気持ちは、子どもにとっては自分を否定されることであり、とても傷つき、ストレスになることを知ってください。これも、障害があってもなくても、同じです。

ただ、自閉症の世界は、私たちにはわかりにくいから、特徴を知り、理解することが必要になってきます。少しでも特性を知る人が増え、上手に関わっていけたらいいなと思います。では、実際、どういう対応が必要なのでしょうか。

具体的に伝える

例えば、園のみんなでいたずらをしているとき、先生に「そんないたずらをしちゃダメでしょう。」と言われると、たいていの子は、ジャングルジムに登ったり、ブロックで遊んだり、友達に「あっちでおままごとしよう。」と言ったり、違うことをして遊びます。

「『これ』はダメ、と言われたから、『これ』じゃない遊びを考え出す」という、想像力や応用力を持っているのですね。

でも、自閉症の子どもたちは、「これをしてはダメですよ。」という、否定的な言い方では、意味が伝わらないのです。だから「ダメですよ。」というのではなく「ブランコに乗ろうよ。」とか「パズルで遊ぼう。」とか、肯定的に言うことが必要です。

話し言葉も口数が多いのも苦手

具体的に、肯定的に伝えることが大切ですが、話し言葉はできるだけ使わないほうがいいです。突然、たくさん話しかけられることも苦痛ですから、なるべく、完結に、口数を少なくしたほうが伝わりやすいのです。

目で見たことの理解は得意

さらに、耳で聞くことは苦手ですが、目で見た事の理解は得意です。ですから、口でいうより、目で見える形で伝えるほうが本当はわかりやすいそうです。簡単な絵をかいたカードに、目で見える文字を書いて伝える方法が、効果的です。

この時も、「みんなで楽しくパズルをしましょう。」ではなく「パズルをする。」だけのほうがいいのです、「楽しく」という抽象的な言葉が、なにを示すのかわからないからです。

お話のできる子でも、人の話した言葉の意味を理解できると思うのは間違いです。「パズルをする。」の意味はわかっても、「楽しい」という、目に見えない感情を表す言葉に意味を持たせるのは、自閉症の人たちにとっては非常に難しいことだからです。

想像力を働かせる力が弱い

比喩や抽象的なことなど、想像力が必要な事への理解は苦手、ということからくることですが、予定外のことや、いつもと違う予定が入ることも苦手です。同じ環境で同じ順番で生活することで、やっと安定して過ごすことができます。

園庭で、同じブランコにしか乗りたがらないかもしれません。砂場では、いつも同じスコップしか使わないかもしれません。「どれも同じブランコじゃない?」と言って、無理に違うブランコをすすめるようなことはしないでくださいね。

決まったブランコに乗れないことで、すごく混乱してしまうことがあります。どれも同じブランコに見えるのは私達。自閉症の子どもたちには、細部から全体を考えるという特性がありますから、決してどのブランコも同じでは無いのです。

こういうことを、周りの人が理解できると、ずいぶん安心して遊べるようになると思います。

関わり方を理解すること

M君は、自閉症の専門の先生がいてサポート体制が整っている、息子とは違う小学校に入学することになりました。

M君のお母さんは、「小学校でこんなふうな友達ができるかとても心配なの。」と言われました。でも、M君のことを考えると、きちんとした知識を持って対応してくれる専門の先生や、サポート体制が整っている小学校に入ることの方が大切です。

小学校に入ってすぐの頃、M君に息子が電話をしたことがあります。お母さんは、とても喜んでくれましたが、M君は、パニックになってしまいました。私たちは、次から、手紙を書く事にしました。

手紙を書くのも悩みます。「風邪をひかないでね。」は否定、「楽しい夏休みを過ごしていますか?」は抽象的です。結局、「元気ですか?僕は元気だ。夏休み、遊ぼう。」という、そっけない手紙になりました。

でも、お母さんからとても喜んで電話がかかってきました。M君は、息子と過ごした時間を、楽しいこと、として覚えてくれているようなのです。

私には、こういったことが、自分の感覚としてわかるわけではありません。先ほどのブランコの話にしても、じゃあ、一番左のブランコは、自閉症の子にはどんなふうに見えているの?と言われてもわかりません。

でも、ブランコが、全部違って見えているということは、理解していたいと思うのです。「ブランコにこだわりを持つおかしな子」だと思ったり、「ブランコはみんな同じなんだよ。」と、押し付けたりしないようにしたいのです。

素晴らしい子どもたち

息子のクラスは、ずっと、とてもいクラスでした。最後まで、M君を否定するような言葉を、子どもたちからも保護者からも、私は聞いたことがありません。

卒園間近、保護者同士のクラス懇談会で、M君のお母さんがこう言いました。

「うちの子のせいで、お遊戯の練習がストップしたり、散歩の途中でパニックになって帰らなくちゃいけなくなったり、みんなに申し訳なく思っている。いつも、待っていてくれて、本当にありがとう。」

それを聞いて、あるお母さんが「このクラスは、本当に素敵なクラスだったよね。まとまりがあって、みんな優しくって。それって、M君のおかげかもしれないね。」と言いました。

そして、その場にいたお母さんが全員、「きっとそうだよ。」と口々に言いながら、大きくうなずいたのです。

「M君のおかげで、どれだけ成長したかわからない。」「ほかのクラスの子がM君をバカにするようなこと言うと、団結して守っていたよね。」「うまくいかないことがあると、みんなで話し合って、新しいルールを自分たちで決めてた。」

子どもたちは、自閉症に対する知識は何もなかったのかもしれませんが、M君をありのまま受け入れ、その都度その都度、M君の特性を理解していったのでしょう。

そのままの姿を受け入れ見守る

私は、自分の小学生時代を思い出しました。小学校には、軽度と重度の特殊学級が2クラスありました。重度の子は、だいたい特殊学級で過ごしていて、私たちと同じクラスで勉強することはほとんどありませんでした。

軽度のクラスには、教科によって一般の教室と特殊学級とを行ったり来たりしている子がいました。だからといって、今の「いじめ」のようなことはなかったと思います。

長い休み時間には、特殊学級に遊びに行く子がたくさんいました。そこには、トランポリンや鉄棒や、マットなどがあるうえ、担任の先生がとっても面白い先生だったのです。

男の子達は、マットの上でその先生にプロレス技をよくかけられていました。特殊学級の子も、普通学級の子も自然に一緒に遊んでいました。無理にみんなで遊ぼうと言っていたわけではなく、自由にそれぞれ遊んでいたのです。

私のクラスによく来ていた特殊学級のK君は、勉強は苦手でしたが、歌がとてもうまい子でした。遠足のバスの中は先生が「K君オンステージ」と言って、目的地までK君の歌を聞いたり、みんなで一緒に歌いながら行ったものです。いつもバスの中は拍手喝采。

私は、わりとK君の素直なところが好きで、仲良しで誕生会にも呼ばれていました。お父さんとお母さんにいつも「Kのこと、よろしく頼むね。」と言われたような覚えがあります。

そういえば、私はあの時、K君をどうしよう、とか、こんなふうにしなきゃいけないとか、そんなことを思っていませんでした。九九がなかなか覚えられないというので、九九を一緒に読みあげたりはしましたが、それは、K君が九九を覚えたいと言ったから。

私は、どうして、自分が子どもだったときのように、あるがままのM君を受け入れられなかったのでしょう。本当に、残念でなりません。

無理解や偏見の中で、苦痛に耐えながら成長しなければならない子どもが、少しでも減りますように。あれ?と思う子がいたら、どうか、おだやかに見守ってあげてください。

息子に、聞いたことがあるんです。「あなた、M君と遊んでる時って楽しいの?」

いつもやんちゃな息子が、M君の好きな遊びに、寄り添いながら付き合っているように見えたからです。無理も言わないし、危ないこともしないし、とにかく、いつもと様子が違うので、不思議でした。

すると「楽しいよ。M君、すごいこと見つけるんだよ。俺も、誰も気づかないようなこと。」と、目をキラキラさせて言うのです。「自閉症の子は細部から全体を見る」という特徴を、息子はこんなふうに、とらえているのですね。

「それにさ、ママ、知ってる?M君、たまにしか笑わないんだけど、笑うとすっごいかわいいんだよ。」にこにこして言う息子に、幸せの秘密を教えてもらったような気がしました。

幸せに見える人は、必ず誰かを幸せにしている人なんだそうです。

みんなのコメント
  • めいさん

    私の息子は小学1年生で特別支援かっきゅ

  • たゆさひさん

    うちの子どももも自閉症です。
    素敵なお子さんでうらやましいです!お母さんも!!
    こんなに理解して下さる方は稀だと思いますが、こんな方がいて下さるというだけで嬉しいです。

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